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『覆面作家企画 わたしはだあれ?』投稿作品
奇妙な店と赤い花の話

【奇妙な話】

『助けて下さい、娘はこのままでは死んでしまいます!』
 そんな切迫した様子の連絡を受けたのは、夏の茹だるような暑さが収まりかけてきた頃だった。

『花に魅せられているのです。ひなが、鉢植えを抱き締める事しかしないのです』
 電話の向こうにいるというのに、まるで自分の肩を掴まれ、思い切り揺さぶられているような感覚を覚える。それ程までに電話の主──母親は精神的に追い詰められていた。しかし、魅せられている、とは。
「どういう事、ですか」
『私にもよくは分かりませんが……ある日、ふらりとその鉢植えを抱えて帰ってきたのです。それで──』
 その日から彼女はそれを抱き締めたきり、世話に全てを注いだきり、他に何もしなくなったという。事が起きてからはかれこれ一ヶ月という事だった。
「枯れないのですか」
 聞く限り、それは珍しい見た目をしているとはいえ普通の花という事だった。多少の長持ちをする花はあれど……と思いながらも私は尋ねる。他に聞くべき事が思い浮かばなかったといえば、それは否定出来ぬ事実だった。
『世話は熱心すぎる程にしているようでしたけれど……それにしても長持ちが過ぎます! 花弁の一枚も、いまだ落ちてはいないのです』
 声に含まれる落胆と絶望は色濃い。私はともかくと思い、続けて尋ねた。
「娘さんに会わせて頂けますか」
『勿論そのつもりです。出来るだけ早く……娘を助けてください、お願いします!』
 話は早かった。電話を切ったのち、私はすぐさまその家を訪れた。娘の事も気に掛かったがこのままでは母親も危うい。そんな風に考えていた。しかし、
「──」
 娘の部屋の扉は何者を拒む事もなくあっさりと開いた。一歩踏み込み、私は自分の考えを改め直す。
 ──娘の衰弱は一目で見て取れる程に、酷かった。
「……あら、だぁれ?」
 けれど娘は、笑顔で私にそう告げた。
 か細い声、青白くこけた顔、ぼさぼさの髪(元は大変綺麗なものであったであろう)。笑顔と隣り合わせに何かへと酷く執着を見せる者の目を浮かべ、そして、真っ赤に咲き誇る花の鉢植えを愛おしそうに、その折れそうな程に細くなった腕で抱き締めていた。
「……あれが、ですか」
 私は娘からの歓迎をひとまず隅に置き、後ろで今にも泣き出しそうになっていた母親へと尋ねた。母親は花を憎々しげに睨み付けながら、頷く。
「もうひとつきです。ひとつきの間、ただただ新しい花が開くだけで」
 言われ、再び鉢植えに目を移すと、確かに活き活きと開く花達が鉢植えを覆い隠してしまっていた。見事と思うより先に感じたのは寒気。
 まるで鮮血のような、赤い花。これらは一度たりとも花弁を落としていないというのか。私は息を呑み、そして娘へと近付いた。
「……自己紹介が遅れましたね。貴女のお母様に呼ばれて来ました──」
 役職と名を告げるが、娘の興味はやはり花に注がれたまま。きっと明日になれば私の事など忘れてしまうのだろうと、そんな風に頭の隅で思う。
「そちらの花は?」
 話題を変える。慎重に、一歩一歩踏み込むように。花の事を聞かれて嬉しかったのか、娘の顔が僅かに綻んだ。
「たいせつなの」
 ぎゅう、と鉢植えを強く抱き締め微笑む。こんな状態でなければとても可愛らしい仕草に違いないのだが、衰弱しかけている今、その笑顔は正直に言ってしまえば──不気味さを湛えている。
「あの人のおかげで咲いているの。あの人そのものなの」
 私は思わず眉を顰めた。
 あの人、とは。私が尋ねるより先に、娘は勝手に続けてくれた。
「綺麗な赤でしょう? あの人も赤が好きだった。あの人はこの花に生まれ変わったのよ。私の傍にいてくれるのよ」
 ……何となく。その言葉で何となく、私は深淵の一部分を悟った。あり得ない話をあり得るものとして。信じがたい話を信じて止まず。そう言う事なのだろう、と。私は母親に向き直り、娘の目の前ではあったが遠慮無く聞いた。
「──娘さんに、恋仲であった人は」
「いました、けれど……」
 事故で、と。音にはせず口元だけが躊躇いがちにそう告げた。
「この花を取り上げる事は?」
「試みたのですが──」
 それこそ数日が過ぎた時点でそうしようと考え行動に移したらしい。だが取り上げようとした瞬間、娘は叫び、泣き喚き、しがみつき、奪い返し、そして窓辺に足をかけたのだという。それから、もう絶対に取らないからと謝り倒し今に至る。との事だった。
 青ざめた顔のまま部屋に入る事が出来ず、ただ覗き込むようにしているだけの母親に一礼し、私は娘に向き直る。
「その花は、一体どこで?」
「不思議なお店よ。友達が教えてくれたの。その店に行くと、欲しいものが手に入るの」
 娘はさらりと答えた。不思議なお店、それは一体。
「そこで、その花を買った、と」
「ええ。欲しい物を出してくれるの。彼を出してくれたの。だって買ってからずっと、ずっとずっと生きているの」
 だいすきよ、娘はそう言って、再び鉢植えを抱き締めた。

「ともかく、店へ」
 娘の部屋から出てすぐ、私は母親へと告げる。
「行くしかないでしょう。一体何を売りつけた」
 娘は、私が店に行きたいと言えば喜んで詳細を教えてくれた。以前に友人がくれたという、手書きの地図を譲ってすらくれた。自分はもう、これ以上欲しいものなど無いから不要なのだと笑っていた。
 母親はただただ困惑するばかり。それもそうだろう。貴女はここでお待ちくださいと、なだめるように告げてから私は家を後にした。
 私と母親が立ち去ったあと、娘は何事も無かったかのように再び、愛おしそうに花へ触れた。
 真っ赤な真っ赤な花弁がひとつ、はらりと離れて床へと落ちた。

【奇妙な店】

 私は思わず立ち止まったまま、その漆黒色の扉を見つめていた。
 細い路地を何度も通り、そろそろ道に迷うのではないかと心配になり始めた頃ようやく、その『店』は私の前に姿を見せた。
「ここ、か……?」
 建物の正面には窓が無く、その扉のみが張り付くようにして存在している。扉にも覗き窓の類は無い。そして見回してみたものの看板らしき物すらない。
 このような辺鄙な所と装いで商いとは、なんとも良い趣味をしているものだ。まぁ、売られているものも──『あれ』を見た限り──大層趣味の良いものであろう、と私は胸の内で皮肉を込めひとりごちる。
 立ち止まっていても仕方がないと、私はドアノブを掴んだ。力を込めればそれは馬鹿みたいに軽く回り、漆黒色の扉が開く。
「いらっしゃいませ」
 途端に、耳元で話しかけられたような気がした。
「!?」
 若い男の声だった。驚き、何度か瞬けば、耳元の声は気のせいだったと気付く。扉を開けてすぐ目の前には大きなテーブルが置かれていて、そこから先には進めないようになっていた。そしてそのテーブルの反対側に、
「お求めの品は何でしょう?」
 微笑みをたたえた一人の男が姿勢正しく座っていた。それこそが声の主だった。
「……や、私は、」
 男──店主と思われる──が手を伸ばし、テーブルの私が立っている側に添えてあった椅子へと座るように促してきた。私は何故だかそれを拒否したく、座らぬままに扉を閉める。店内の照明といえばテーブルの上に置かれたアンティーク調のランプのみで、窓の無いこの空間は薄ぼんやりとオレンジ色の光に染められていた。
 その明かりを頼りに私は無意識で視線を巡らせる。テーブルを挟んで男側の壁に取り付けられた古時計、その下の古びた棚に置かれたアンティーク物のティーセット。男の隣にはどこかで見た有名な年代物のレコーダーが置かれ、反対側の隣後方に扉がひとつ。黒い布で上半分が覆われていた。
 そこまで認識し男へ視線を戻す。二十代前半だろうか、まだ十分な若さを残す端正な顔つき。先刻見た扉のような漆黒色の髪は耳の半分ほどを隠す長さ。着ているのはまるで喪服のような、黒のスーツに白いシャツと黒のネクタイ。店に入るなり私に向けた微笑みはいつしか消え、不思議そうに私を見上げていた。
「なにか?」
「あ……申し訳ない。私は客ではなく、その──」
 ふ、と。娘の姿が脳裏に蘇った。今にも崩れて眠りについてしまいそうな、儚き外観。それを思い出した瞬間に私の戸惑いは消えた。
「──あなたはここで何を売っている」
「お客様の望むものを、ですよ」
 何を不思議な質問を、とばかりのあっさりとした返答。私の中に小さな苛立ちが沸き上がり、ほぼ無意識で更に問い詰めていた。
「あの花は何だ」
「……あの、花?」
 これはすぐには分からないようだった。私は思い知らせるような勢いで、娘の事、娘の状況の話、この店の事を聞いたという話、それと娘の名前を男に告げる。
「──名前、はお伺いしない主義ですので、それでは思い出せませんでしたが……あぁ、あの花を買って行った方ですか」
 花の事は思い出したのか、男は一度小さく頷いた。そして、小首を傾げる。
「ただの花ですが、どうかしましたか?」
「何がただの花だ!」
 私は思わずテーブルを叩き、叫んでいた。男はまるで動じない。
「そう言われましても」
「人ひとりの命がかかっているんだぞ! 正直に答えろ!」
 しかし男は、今度は少し困ったような顔を見せた。何か思案するように、口元に手を当て目を軽く伏せる。
「んー……あえて言うならば、品種改良とその他少々の賜物により普通の花よりも『すこし』長持ちする花、なだけでして……それ以外は何も変わった事は無いのですよ。花を長く愛でたいという至極普通の人間心理が為し得た結果、と言いますか」
 私は何かを言い返そうとしたのだが、何故かそれが出来なかった。ただ男の言葉の続きをじっと待つ。男はまるで流れるような口調で語る。
「僕の経営におけるモットーは『望むものが手に入る店』ではあるのですが……なにぶん僕自身が凡人ですから、やはり出来ない事も多々ありまして。ええ、この店も僕の趣味でこのような雰囲気ですが、趣味であるだけ、要するに趣味の範囲で賄っているだけで僕自身が万能魔法使い、などという事は無いのですよ」
 ですから、と一旦区切った男は、両手を私の方へと道化めかした動きでかざす。
「なかなかにセコい手段なのですが『望むものが手に入ったと錯覚できるもの』で妥協して頂く事も多々であったりします。要は、お客様を満足させれば無問題・僕の勝ち。勿論、ご本人にその意図は伝えません。なので今聞いた事は内密に」
 そこで、唐突にお茶はいかがですかと勧められた。私は短く断った。
「……そうですか。美味しいものが手に入っていたのですが──ではそれは僕が独り占めという事で。あぁ申し訳ありません、続きですね。……先程も述べましたが、僕にも出来ない事は多々なのですよ。ですが……噂というものは時に恐ろしいとよく思うのですが、僕の店に行けば本当に何でも願いが叶うのだ、というけったいな噂が一人歩きし始めてしまいまして。歩いていったそれよ帰ってきなさいという気分ではありますが……それはまたさておき、その娘さん、ですか? 彼女はここに来るなり言ったのですよ。『彼を生き返らせてください』と」
 ちくり、と頭痛を覚えた。自分がその立場に立った事が無いからなのだが、追い詰められた人間の思考というものは理解に難しい。
「無理ですよ。無理無理。言われた僕はちょっと困りました。どうしたものか、せめて他の事で気を紛らわせてくれれば良いのですが。納得をさせて評判を──あの噂はいきすぎですが──下げないようにしなければ。あぁ、そういえば──」
 素敵な花がありますよ、これでどうか気晴らしを。と、その花を差し出した訳ですよ。と男は芝居がかった回想を締め括った。
「……」
「願いに対して少々強引かなとは思ったのですけれどね。それにその花は実のところ、僕が欲しくて頑張ったものであったりしまして、僕としては大サービスのつもりでした。文句を言われたら塩を撒いて追い出しても良い位の。ですが娘さんはその花に目を奪われたように手を伸ばし、これでいいわと抱き締めた」
 私は頭の隅で思い出す。あの赤が、娘の恋人が好きだった赤だったのだろう。赤という色は多々あれど、あれが本当に、娘の中で正しい赤。
「なんでしたら、そのお客様から奪い取って調べてみると良いですよ。衰弱しているというのであれば造作もない事でしょう」
 確かに、以前は死のうとした娘を止める事が困難だったが、今ならそれを力尽くで阻止する事も出来るだろう。……あの状態なのだから。
 そう考え眉根を寄せる私へ、男は続ける。
「気持ちの問題なのですよ。僕はただ、普通の花よりも『すこし』長持ちをする花を売った。お客様は死なぬ花だと、恋人様の代わりだと勝手に思い込んだ。僕に非はありますか?」
 私は言い返す事が出来なかった。男は私の反応無き反応にほっと息を吐いたように見えた。しかし、すぐに僅かだけ眉を顰める。
「僕は安心しましたが──ですが……」
「……何だ」
「特別なルートからの入手とはいえ、そろそろなのですよ」
 一瞬、意味が理解できなかった。その思惑を表情から読み取ったのか、男は少しだけ声のトーンを下げ困ったような表情を浮かべながら言った。
「さすが執念の賜物、されど人の手の賜物、という事です。あの花は植物というカテゴリの域を超えていない。ですから、そろそろ命が尽きますよ」
 まさかそこまでのめり込み、立ち直ろうとしなかったとは……男は驚きを通り越し、いっそ感心したように呟いている。私は男の言葉の意味を考える。考えて、出口が見えそうになった瞬間、男はいまだここにいる私をいぶかしげな顔で見た。
「ここにいる暇があるのでしたら、お客様のもとへ。あの花が死に至る時、お客様は一体どうなさるのでしょうね」
 答えという出口が一気に開け放たれた。目眩を覚えそうだった。
「──っ! 失礼する!」
「あぁ、申し訳ないです少々お待ちを」
 扉に手をかけた私を男が呼び止める。私が苛立ちと共に振り返ると、男は私が先刻入ってきた時と同じ微笑みをたたえ、そして聞いた。

「先程も聞きましたけれど、やはり明確な返答が無いと夜に眠れなさそうで……僕に非はありますか?」
「そんなものは無い!」

 私はほとんど叫ぶようにしながら店を飛び出していた。急がなければ、急がなければ。嫌な予感は胸を支配し吐き気へと変わる。

「そうですか、なら良かった。──では、またのお越しを」

 既に遠ざかった店。耳元でそんな声がしたような気がしたが、私は構わず走っていた。
 あの花の赤が、鮮やかな血のような赤が、ただただ脳裏にちらついた。


豆文へ続く→
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